明けましておめでとうございます

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明けまして おめでとうございます

瀬戸の海は穏やかな新年を迎えました。

3年半ぶりのブログ更新です。

乳癌手術、抗がん剤、放射線治療の途中でブログが止まっていたので

「もしや?」

と思われても仕方がないことなのですが、私は以前にも増して元気です。

3年半前、治療が終わりかけた頃に私の環境は思いがけない展開となり祖父、父、夫が携わっていた

「桃井製網」の福利厚生施設「光風荘」を修復し、雲火焼展示スペースを設けることとなりました。

その頃 私は病を得、生かされた命をどのように生きようかと考えていた時だったので亡き三人が

私の歩むべき道を示してくれたと思いました。

周りを見回すと頼りになる仲間に囲まれていました!

躊躇することなく20年近く放置されていた「光風荘」を改修に・・・

長棟州彦、長棟光亮と私の3人の知恵とアイデアで図面無き改修へ

コンセプトは瀬戸の海を背にゆったりとした時を過ごせる空間

幸い素人の私たちの意見を理解して確実に実行してくれる棟梁「久田寛三氏」にも恵まれ

1年後 館がよみがえりました。

さて この館のネーミングは?

此の館を残してくれた私の先祖への感謝を忘れてはいけない という長棟州彦の強い思いで

「桃井」をつける事に・・・

展示内容から美術館?ギャラリー?スペース?等など・・・・・?

ふと眼前に広がる瀬戸の海を眺めながら突如出てきた「ミュージアム」

それ いいわね!!!

「桃井ミュージアム」に決定。

そんな事がいっぱいあって

2011年5月24日「雲火焼展示館 桃井ミュージアム」が開館いたしました。

まず ミュージアムの紹介

玄関のアプローチ

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倫の会のメンバー 塚原 徹さんに書と彫をお願いしました

入り口のドアは雲火焼をはめ込みました

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ドアを開けて入って頂くと左の壁面に「森崎伯霊」の「夕焼け小焼け」

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夫が残してくれたものです。私は伯霊先生のお宅によくお邪魔していたのですが、初めて夫といっしょに伯霊宅に伺った時先生の画に囲まれて先生と話をし彼は何か感じるものがあったらしく「人生の価値観が変わったような気がする」と言って私にとても感謝してくれたことを覚えています。その後このミュージアムの前身である「光風荘」で伯霊先生の展覧会を企画し、雲火焼に共通する夕焼けの画を私にプレゼントしてくれました。大切に大切にしています。

右の側面は赤穂段通です。祖父が晩年住んでいた家の廊下に敷いていました。汚れたり破れたりすると新しくしたので5種類の段通が残されています。時々掛け替えています。

段通

 

二階には先祖の愛用していた品や蒐集品を展示しています。

まず踊り場 お正月に使っていた屠蘇器や茶道具

踊り場

次に「野村正樹の部屋」

義弟(妹の配偶者)野村正樹が関東大震災の二日後に肺がんのため逝去しました。

 サントリーを55歳で退職 亡くなった66歳の11年間で100冊以上の著作本を残しました

最後まで著作にかける情熱を燃やす生き様を目のあたりにし彼の部屋をどうしてもミュージアムに儲けたいと思いました。

  彼が担当していたNHKのラジオ深夜便 「大人の旅ガイド」の最後の放送が「赤穂線の紹介」でした。

野村正樹の部屋2

野村正樹の部屋

 

二階奥の部屋には「大嶋黄谷」の作品、 床の間は四季折々の掛け軸 を展示

黄谷部屋

 

一番工夫を凝らしたのは 刻々と変わる瀬戸内の景色を楽しめる「移り行く絵画」

ミュージアム名画

階下は雲火焼の展示

1月8日から20日まで「雲火焼百盌展」

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茶道は藪の内流を祖父が熱心に学んでいたので子供の頃からなんとなくお稽古をしていましたが

年と共にお茶が楽しくなり、ミュージアムには是非とも茶室を作りたいと思いましたが

正式な茶室を作れるわけではないので、自分なりの楽しいものにしたいと思い工夫しました。

柱は角の黒竹 壁はロールスクリーン

今年1月8日、11日には掛け釜をして新年を祝いました。

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オープンガーデンは長年放置されていたので荒れ放題

そこで大活躍してくれたのは長棟州彦。

本職の腕と持ち前のアイデアを生かして瀬戸内の景色にマッチした水琴窟庭園を作り上げました。

水琴窟①

水琴窟③

水琴窟②

水琴窟④

水琴の奏でる音色が来館者の皆様を魅了しています